東京地方裁判所 昭和63年(ワ)2918号 判決 1989年2月27日
原告
国
右代表者法務大臣
髙 辻 正 己
右指定代理人
古 川 則 男
同
石 原 秀
同
蝦 名 正 昭
同
伊 藤 彰
青 山 文 範
同
甲 元 孝 和
被告
藤 田 信 行
右訴訟代理人弁護士
鶴 田 進
主文
一 被告は、原告に対し、金一六五〇万八〇五五円及びこれに対する昭和六二年一〇月一日から支払済みまで年一四.五パーセントの割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 この判決は仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告
主文と同旨。
二 被告
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 被告は、防衛庁設置法一八条に基づき設置されている防衛医科大学校を昭和五九年三月一一日に卒業し、任命権者から同日付で航空自衛隊空曹長に任命されたうえ、医科幹部候補生、航空中央業務隊付を命ぜられて勤務し、その後の昭和六二年八月三日付退職願を航空幕僚長宛に提出して、同日航空幕僚長から退職を承認された。
2 自衛隊法九八条の二第一項は、防衛医科大学校卒業生は、教育訓練を終了した後九年以上の期間隊員として勤務しない場合には、同医科大学校における訓練期間中に要した職員給与、研究費等のうち、自衛隊法施行令一二〇条の一五に定める金額を償還金として国に償還しなければならないと規定している。
しかるに、被告は、前項のとおり、教育訓練終了後九年以上の期間隊員として勤務しなかったのであるので、被告の原告に対する償還金は自衛隊法施行令一二〇条の一五第一項二号、別表第一〇によると、一六五〇万八〇五五円(26,610,000円×(108−41)÷108=16,508,055.54円)となる。
したがって、被告は、自衛隊法施行令一二〇条の一六第一項により、離職した昭和六二年八年三日の属する月の翌月の初日から起算して一か月以内に右償還金一六五〇万八〇五五円を支払う義務がある。
3 なお、被告は自衛隊法施行令一二〇条の一六第二項に基づき昭和六二年八月四日付の償還金償還計画書を防衛庁長官宛に提出し、償還金の半年賦の均等償還の申請をしたが、同条項の「やむを得ない事情」は認められないとされ、原告は、昭和六二年九月一一日付の納入告知書第二五二号(納付期限昭和六二年九月三〇日、償還金一六五〇万八〇五五円)によって、納付告知し、右告知書は昭和六二年九月一八日被告に送達された。
4 よって、原告は、被告に対して、右償還金一六五〇万八〇五五円及びこれに対する右償還金の納付期限である昭和六二年九月三〇日の翌日である昭和六二年一〇月一日から支払済みまで自衛隊法施行令一二〇条の一六第三項に定める年一四.五パーセントの割合よる延帯利息の支払を求める。
二 請求原因に対する答弁
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実のうち、自衛隊法及び同施行令に原告主張の規定があること、被告が教育訓練終了後九年以上の期間隊員として勤務しなかったものであることは認め、その余は争う。
3 同3の事実は認める。
(被告の主張)
1 自衛隊法施行令一二〇条の一五、昭和五五年政令二〇六号として施行されたものであるが、被告が防衛医科大学校に入学したのは昭和五二年であり、当時は償還金に関する具体的定めはなかった。
そして、一旦法律関係に入った当事者間において、その後の新しい規範が創設されたからといって、それが当然に当該当事者に適用されるものではないから、自衛隊法施行令一二〇条の一五は、被告には適用されない。
2 仮に、当事者が法律関係に入る時点において将来規範が創設されることが予定されていた場合には、新しく創設された規範は当事者に適用されると解したとしても、創設された規範が当時の予想をはるかに越える不利益、不合理な内容のものであるときには、当該規範は適用されるべきではないところ、自衛隊法及び同施行令の償還金に関する規定は、次のとおり被告にとって極めて不利益、不合理なものであるから、被告に適用されるべきでない。
(一) 自衛隊法九八条の二に規定されているように償還金の実質は「教育訓練に要した職員給与、研究費、その他の経済的経費」の返還であるところ、このような金銭は奨学金等と異なり借入金ではなく、労働ないし訓練の対価として支給されたものであるから本来的に返還すべき性質のものではない。また、防衛大学校の卒業生が卒業後直ちに離職しても償還義務を負わないこととも不均衡である。
(二) 自衛隊法施行令一二〇条の一六によると、償還金は離職した日の属する月の翌月の初日から一か月以内に返還すべきものとされているが、返還すべき金額は自衛隊員として勤務したにすぎないものが直ちに返還できる性質のものではなく、右規定は、卒業生の離職を阻止するために定められているものであるから、右規定は労働基準法一六条に反する。
(三) なお、自衛隊法施行令一二〇条の一六第二項には、「やむを得ない事情があると認めるとき」は半年賦の均等償還とすることができる旨の規定があるが、均等償還の申請が受理されるかどうかは明確な基準がなく、事前に判断できないばかりか、二年の範囲内の半年賦の均等償還はそれ自体離職希望者に対する実質的な労働の強制を緩和・救済するに足りるものではない。よって、被告には自衛隊法及び同法施行令の償還金に関する規定は適用されない。
3 被告には自衛隊法施行令一二〇条の一六第二項の均等償還が認められるべきである。即ち、同条項にいう「償還金を直ちに償還できないやむを得ない事情」とは、離職者に返還資金がない場合も含まれるところ、被告はこれに該当する。
4 償還金に関する規定そのものが合理的なものであるとしても、自衛隊法施行令一二〇条の一六において定める遅延損害金の率一四.五パーセントは、合理的なものといえず、被告が防衛医科大学校に入校当時右規定がなかった以上、一般原則に従い年五パーセントに限るべきである。
三 被告の主張に対する答弁
1 被告の主張1について
防衛医科大学校卒業生の勤続義務に関する規定(自衛隊法六四条の二)及び償還金に関する規定(同法九八条の二)はいずれも昭和四八年法律第一一六号により追加されたものであるところ、被告は昭和五二年四月防衛医科大学校に入校したのであるから、右規定の適用を受けるのは当然であり、被告は卒業後九年間の勤続義務期間満了前に離職すれば、償還金返還義務が生じることを知悉しながら入校したものである。よって、被告には自衛隊法九八条の二及び同条に基づき償還金額を具体的に規定した自衛隊法施行令一二〇条の一五が適用されるのは当然である。
2 被告の主張2について
(一) 国は、防衛医科大学校の学生に対し、卒業後自衛隊員として一定期間勤務することを強く期待して一定の給付をしたものであるから、学生が卒業後その期待に応えない場合は、国から受けた利益を返還すべきは当然である。
(二) 自衛隊法九八条の二は、防衛医科大学校学生に対して医師としての教育、訓練を行うにつきその経費を国が負担するが、卒業生が右教育、訓練終了の時以後はじめて自衛隊から離職した時は、終了後の勤務にかかわりなく右経費のうちの一部分を離職者から償還させるべきことを一般的義務として規定し、特例として、九年間自衛隊員として勤務したものについては返還義務を免除するというものであるから、教育、訓練後の離職の時期によって償還義務の有無や範囲が左右される場合と異なり労働基準法一六条に違反するものということはできない。
3 被告の主張3について
「やむを得ない事情」とは、償還義務者にとって予測できない不可抗力的な事態が発生し、一括償還できない状態になった場合等をいうのであり、資金がないことは不慮の事故とはいえない。
4 被告の主張4について
被告に償還義務が発生したのは、昭和六二年八月三日であり、当時すでに自衛隊法施行令一二〇条の一六は、規定されていたのであるから、被告は、右規定に定める遅延損害金を併せて支払うのは当然である。
第三 証拠<省略>
理由
一被告が防衛庁設置法一八条に基づき設置されている防衛医科大学校を昭和五九年三月一一日に卒業し、任命権者から同日付で航空自衛隊空曹長に任命されたうえ、医科幹部候補生、航空中央業務隊付を命じられて勤務し、その後昭和六二年八月三日付退職願を航空幕僚長宛に提出して、同日航空幕僚長から退職を承認されたことは、当事者間に争いがない。
そうすると、被告は防衛医科大学校における教育、訓練終了後、九年以上の期間自衛隊員として勤務しなかったこととなるので、自衛隊法九八条の二第一項、自衛隊法施行令一二〇条の一五、別表第一〇、同一二〇条の一六により、被告は原告に対し一六五〇万八〇五五円(26,610,000円×(108−41)÷108=16,508,055.54円)の償還金及びこれに対する右償還金の納付期限である昭和六二年九月三〇日の翌日である昭和六二年一〇月一日から年一四.五パーセントの割合による金員の義務があることとなる。
二被告は、自衛隊法施行令一二〇条の一五は、昭和五五年政令二〇六号として施行されたものであるところ、被告が防衛医科大学校に入学したのは昭和五二年であって、当時償還金に関する具体的規定はなかったのであるから、被告の入学後に施行された自衛隊法施行令一二〇条の一五は、被告には適用されない旨主張するので、以下この点につき判断する。
たしかに、被告が防衛医科大学校に入学した昭和五二年当時、自衛隊法施行令一二〇条の一五が施行されていなかったことは被告指摘のとおりである。
しかしながら、被告が防衛医科大学校に入校した当時、既に自衛隊法九八条の二は施行されていたのであるから、被告は卒業後九年以上の期間隊員として勤続しなかった場合、同条一項に定める償還金を償還する義務を負うことや、その具体的な金額は「教育訓練に要した職員給与費、研究費その他の経常的経費の学生一人当たりの額をこえない範囲内において」「政令」で定められることを知悉していたものということができるうえ、右「経常的経費の学生一人当たりの額」は、事柄の性質上教育訓練が修了した時点すなわち、卒業時点ではじめて確定するものであり、しかも、右「政令」に当たる自衛隊法施行令一二〇条の一五の規定(及び同規定に基づく別表第一〇)は、防衛医科大学校第一期生の卒業時までに定められたのであるから、第五期卒業生である被告は、その卒業時、右規定(及び別表第一〇は順次返加されている。)により具体的な償還金額を知悉できたということもできる。そして、被告は自衛隊を離職したのは前示のとおり昭和六二年八月三日であるから、当時既に効力を有していた右規定が被告に適用されるのは当然である。
したがって、先の被告の主張は採用できない。
三次に、被告は自衛隊法及び同法施行令の償還金に関する規定は、被告に著しく不利益、不合理であるから、被告には適用されない旨主張するので、以下この点につき判断する。
まず、被告は、自衛隊法九八条の二の償還金の実質は「教育訓練に要した職員給与費、研究費その他の経常的経費」の返還であるところ、このような金員は労働ないし訓練の対価として支給されるものであるから返還すべき性質のものではない旨主張する。
しかしながら、防衛庁設置法は「防衛医科大学校は、医師である幹部自衛官となるべき者を教育訓練する機関とする」(一八条二項)と規定し、この規定と<証拠>を併せ考えると、本件の償還金制度は、社会的に高い評価を付与され、その育成に莫大な経費を必要とする医師となり得る資格を国費によって取得した者が早期に自衛隊関係の職から離れることは、防衛医科大学校の設置目的からみて望ましくないため、国費による受益の公平をはかろうとする見地から設けられた制度というべきであるから、自衛隊法九八条の二第一項所定の「当該教育訓練」とは、医学に関する高度の理論及び応用についての知識などを修得させるための教育訓練を意味するものというべく、したがって、同項所定の「経費」は、専ら医学修得に要する経費のみを指し、自衛官の資質の練成に関する経費を含めその他の経費は含まれていない。
そうすると、医学修得に関する経費は、労働の対価とはいい難いものであるから、この点に関する被告の主張は前提を欠くものであり、採用できない。
また、被告は、本件で問題となる償還金制度は、防衛大学校卒業生が防衛関係の職から離れても償還義務を負担しないことと不均衡であると主張する。
たしかに、防衛大学校卒業生は何らの償還義務を負わないけれども、本件の償還金制度は、前叙のとおり医師養成のため必要な医学に関する理論、知識を修得させるには多大の費用を要するために国費による受益の不均衡を是正するために実際に要した経費に限り償還させようというものであるから、防衛大学校の卒業生が離職しても償還義務を負わないことをもってただちに不均衡ということはできない。
したがって、この点についての被告の主張も採用できない。
次に、被告は、償還すべき金額は隊員として勤務したにすぎないものがただちに償還できる性質のものではなく自衛隊法施行令一二〇条の一六は労働基準法一六条に反する旨主張する。
しかしながら自衛隊法一〇八条によると、労働基準法の規定は隊員に適用されないというのであるから、被告に償還金に関する規定を適用するについて、労働基準法一六条違反が問題になる余地はない。
したがって、自衛隊法施行令一二〇条の一六が、実質的な労働の強制を緩和、救済するものではないとの被告の主張について判断するまでもなく先の被告の主張は採用できない。
四なお、被告が自衛隊法施行令一二〇条の一六第二項に基づき昭和六二年八月四日付け償還金償還計画書を防衛庁長官宛に提出し、償還金の半年賦の均等償還を求める申請をしたが同条項の「やむを得ない事情」が認められないとされたことは当事者間に争いがない。
この点につき、被告は、自衛隊法施行令一二〇条の一六第二項の均等償還が認められるべきと主張する。
しかし、右条項によると、同条項の均等償還を認めるか否かは防衛庁長官の裁量によるところであるうえ、同条項所定の「やむを得ない事情」とは同条項にも「病気」の例示があるように、これに類する償還義務者にとって予測できない事情を指すものであり、償還資金がないことはこれにあたらないことは明らかである。
よって、この点についての被告の主張も採用できない。
五以上によると、原告の請求は理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官佐々木茂美)